2010年3月 4日
イスラーム建築
モスクをはじめとするイスラーム建築は、その起源も含め中東一帯の建築文化の系譜に連なっている。
イスラームに先行してアラビア半島周辺では、神殿やシナゴーグなどの宗教施設において、既に聖所、中庭、中庭を取り巻く列柱という建築要素が存在し、後の時代に建設されるモスク建築もこの伝統に連なるものと見る事ができる。例えば、先イスラーム時代の紀元前2世紀のものと思われる南アラビアで発掘されたフッカ神殿には、聖所とそれに後続する中庭プランを有し、その中庭には八角柱による列柱が巡らされ、中庭には水盤が置かれていた。また、南シリアのドゥラ・エウロポスのシナゴーグ遺跡には、すでにトーラーを安置したと思われる聖龕と右脇に説教壇が置かれた聖所を持ち、それに後続して列柱を巡らせた中庭をもっていた。聖龕と右脇に配された説教壇、列柱つきの中庭、水盤という構造は、現在に至るモスク建築の要素と共通する。
イスラーム建築の端緒は、622年のヒジュラの後にマディーナに礼拝所として建設された預言者ムハンマドの邸宅に始まる。記録によると、預言者の家は日干しレンガ(アドベ)で作られ、1辺が100ディラーウ(dhirā')すなわち約50メートル、面積は約2,500平方メートルの広い中庭と、それに接する南北に1列ずつの柱廊を巡らした部屋から成り、壁の高さは2.5メートル程であったという。中庭に面する柱列にはシュロで覆って屋根をつけた。ムハンマドはここを信者に開放して集団礼拝や信者からの陳情を聞いたと伝えられる。当初エルサレムがキブラであったため北側の壁面を背にして普段ムハンマドが礼拝する右脇に3段の木製の高座(のちのミンバル)が置かれ、ここでムハンマドは説教を行っていたが、マッカ征服後はキブラはマッカに定められたため、南側の柱廊が増設されミンバルも移動した。これが現在の預言者のモスクであり、その後の全てのモスクの起源、雛形となった。ただし、アッバース朝の歴史家イブン・サアドによるムハンマドの伝記によれば、ムハンマド自身は信者の財産を無駄にするということで、建物の建設を禁じたと伝えている。豪華な建築物の建立と偶像を禁止するという預言者の教えに従い、ムハンマの存命中と彼の後継者である正統カリフの時代には、イスラーム建築はほとんど発展が望めない状況にあった。しかし、ウマイヤ朝の時代になると、イスラームは芸術に対する関心を示すようになり、これにともなって建築も発達する。ウマイヤ朝からアッバース朝の時代にかけて、イスラーム建築は古代の建築を吸収し、イスラーム特有の建築形態を模索することになるのである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
エルサレムの「岩のドーム」などの建築物が代表的です。
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